受験への恐れ

まぐろ投稿 2022/10/6 01:02

undefined 文系 京都府

京都大学文学部志望

私は小学校のときに中学受験をしたのですが、その受験がだめだったことが今になってもなお、ずっとの怖さとして残っています。
そもそも知的好奇心に任せて始めた勉強が、いつしか受験のというレールにのったものになっていたことに気づけないまま中学受験をしたためではあるのですが。
詰め込まれる授業や忙殺されるほどの課題の量をただこなすことのみを考えて、追い込まれて。それでいつしか、好きだった勉強も嫌いになってしまいました。
そのまま受験をしたのですから、受かるわけもありません。
その上、小学校の放課後に遊んだ記憶が片手で数える程、また、休み時間もずっと本と向き合っていた私に友達などいるわけもなく。むしろ、意図して人を避けていたような気さえします。
そのまま地元の中学に行くのがどれほど恐ろしく嫌だったことか。毎晩泣いていました。
でもどこかで踏ん切りをつけなければ…と思い、一時は自分の中で整理をつけたのです。
そんな時、親の話が聞こえてきました。
それは私がもう寝入ったと親に思われていた夜でした。
母に父は(塾での先生の影響などもあるかと思いますが)
母親が狂乱になるほど子どもに勉強をやらせなかったから、私は受験に落ちたのだ。と言っていました。
そこから喧嘩になり…。
怒りっぽい父に母はいつも傷ついていました。
それを聞いた時、ああ私が受験に落ちたことでいろいろな人に迷惑をかけて傷つけているのだ。と感じ、自責の念に駆られました。
そこから、私は何をするにもどこか投げやりになり、本気で何かに取り組むということを諦めるようになりました。
高校へはほぼほぼ過去の遺産で進学しました。年明けてからしか受験勉強もしなかったですし、中学は平均して15分/日くらいの勉強量でした。
よく自己弁護に走るようになったし、実行するときにも基本は言わないようになりました。
でも大学へはずっと憧れがあって。
幼き頃に夢見た大学にチャレンジだけでもしてみようと思い、多くの人が手遅れだと考えるタイミングから今受験勉強しています。心が折れそうになることもあるけど、今はそういう気持ちの発散方法をたくさん会得しているのでなんとか大丈夫です。

でも、やっぱり受験に対する恐れがあります。
気にしすぎだ。とか、他の人の意見や目線は関係ない。というのは十分すぎるほど理解しています。でも、そういう論理的な思考を凌駕するほどのものなのです。私の根底にある恐れは。
(人よりそういう感性が過敏なのもあります)

また、不言実行になったのに合わせて、はたから見たらヘラヘラしたような性格になりました。お陰で学校の先生からは中高と綺麗に嫌われ続けていますが。基本はポジティブな思いを持って勉強しているので大丈夫なのですが、受験本番に恐れが襲ってきそうで。日に日に怖さに苛まれています。

何が結論になるか不明瞭な相談で恐縮です。
何か怖さを軽くするようなことがあれば教えていただきたいです。

回答

やかやかさん投稿 2022/10/6 01:59

早稲田大学商学部

まず、何が怖いのかを整理する必要があるかと思います。恐らく、落ちるのが怖いわけですが、それを解消するためには?という思考を持つのが1番やりやすい対策かと。つまり、その怖さを克服するには勉強するしかないことになります。勉強しないと不安で落ち着かないくらいまで持っていければ最強です。

しかし、そうも簡単に行くわけではないと思います。「ここまでやったのにうまくいかなかったらどうしよう」「またあの時より記憶が蘇るのでは…」等々感じるかと思います。ここで大事だと思うのは色々な方面の思考の逃げ道を残しておくことです。

例えば「これだけやっているのだから大丈夫!」「過去問で7割は取れているのだから問題ない!」といったポジティブな思考が1つ。

「最悪、落ちても死にはしない」「大学時代にリベンジする方法はある」これがネガティヴな思考ですが、意外に大事で、追い詰められている時、張り詰めている時には安心材料になります。
※ネガティヴな方面に関しては、使うタイミングを間違えると逆効果になるのでもし誰かに言葉をかけるときは本当に気を付けてください。

このように逃げ道となる考え方を持つのは非常に重要です。しかし、これらは「最大限の努力」が前提ですのでそこはお忘れなきようお願いします。やはり勉強が精神安定剤になります。

また、ヘラヘラするとありますが、これは良くないです。勿論ずっとヘラヘラしていることはないかと思いますが、ヘラヘラした態度で言い訳ばかりすると、肝心のバックアップしてくれる人が少なくなる危険性があります。私は大事なところで言い訳したり責任回避したりする人を信用していません。

最後になりますが、本当に中学受験の良くないところを経験してきたのだなと感じます。
しかし、これは誰のための受験なのか?よく考えてみてください。母親のため?父親のため?違うと思います。京大に憧れがあるから、受かって最高の大学生活を送りたいから、周りにチヤホヤされたいから…要するに自分のためなはずです。受験は自分自身による自分自身との戦いです。

周りを一才気にするなというのは非常に難しいです。しかし、それも含めてこの大きな大きな壁を乗り越えることができた暁にはこの先どんな困難も乗り越えることのできる力を手に入れることができるでしょう。受験生皆の戦う姿には心を打たれるものがあります。辛い時は「漫画の主人公みたいだな〜この後絶対成功するからな〜」と思っておけばいいんです。

長文失礼しました。後もう少し戦い抜きましょう!

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