学力で人を判断してしまう

九州民投稿 2024/2/8 07:19

高1 文系 福岡県

一橋大学法学部志望

僕は近場の偏差値60後半くらいの公立高校と超進学校の私立高校に落ちて2.3年に1度数名京都大学に受かる人がでるくらいの私立高校に通っている高一です。
入学して今までで成績が伸び始めて最近は学年トップ3、調子が悪くても1桁には収まるくらいの成績です。また、通っている東進でもその校舎の中では高一以下内で1桁くらいです。
僕はこの成績にあまり満足はしてなく第1志望校も安定していい判定は取れず、学校にも塾にも自分よりも頭がいい人はいるのに僕はどうしてこんなに成績が悪いのかと考えてしまいます。しかし、それと同時に成績が悪い自分でさえ学年上位なのにそれ以下は…と人を見下し初めてきました。本当にこんな考え方をし始めた自分にイライラします。
今通っている高校は学力でクラス分けされており1番上と下では偏差値が19も違うため自分に都合が悪いことがあるとその人を(〜クラスだから)と学力で理由付けをして見下してしまいます。
どのように意識すればこのような学力至上主義的な考え方を改善できますか

回答

きさらぎ投稿 2024/2/8 18:41

慶應義塾大学文学部

 大学に入学するとひしひしと分かると思います。まず、くさいですが、人間は自分が好きなこととか没頭できることを突き詰めたらだれでも他人と微妙に違う道をいくことになり、要はその人にとっての唯一無二の人生を歩むことができます。そこに「比較」とか「競争」といった概念の余地がありません。
 ところが今学校では、あるいは一般受験して(国立)大学に入学するのはほんの一つの道にすぎません。そこでは、もしかするといわゆる頭がいいとか物覚えがいいかどうかというのが尺度になってくるかもしれませんね。でもそれって繰り返しますが一つの尺度に過ぎなくて、人が評価される尺度(基準)は、僕たちに見えないところにごまんとあります。スポーツ、医療、ゲーム、IT、将棋、あげだしたらきりがない世界、マルチバースが存在するのです。その数多あるマルチバースの一つの、受験とう界隈、もっと言えば、その受験界隈のなかでもあなたの所属する学校、学年、という極めて極めて限られた世界のなかで、○○クラスの話をしていることになります。でも、その気持ちと感覚は痛いほどわかります。私も学力至上の感覚になったことは何度もありますから。
 でも今大学に出てみて、本当に色々な生き方(慶應でも東大でも、どの大学でもみな「それぞれ」
の尺度で好きなことをただしているだけなのです。学力うんぬん言っているひとは遅れている、という感覚です。というか、自分の意志でもっと好きな道を見つければいいのに、、、となります。
厳しい言い方ですが。)があると分かりました。
 私文学部にいますが、物理やっている人いれば、心理学やってる人いれば、思いっきりかたい
中国思想やってる人いれば、数学の概念とか理論扱っている人もいます。何でもいいんです。
好きであれば。そこに学力の壁はありません。
 思ったことを連ねたので回答になっている自信がありませんが、ともかく学力とく指標は多くの
それの一つに過ぎないことを頭の隅においてもいいかもしれませんね。今は大学に入学すること
がほぼ自己目的化(日本の教育システム・文化の問題だと思うので誰も悪くありません)している
嫌いがありますよね。その時期があってもいいと思います。僕もそうでした。そんな時期
(学力至上)を経てこそ、自分にとって本当に大事なものとか、やりたいことが輪郭を帯びてくる
と思います。今は、目の前の受験勉強に集中して、間違ってもそれが人格などにかかる尺度でない
ことを念頭に置いて、楽しい生活をおくってください。
 寒いので体調に十分留意して、頑張ってください。応援しています。

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